妻沼訓練所に久々に行ってみた

建物の配置は変わっていないが、管制塔もどきの塔の増設や、玄関もきれいになり、駐車場の他に機体のコンテナの置き場などが隣接の畑の中にできていた。

宿舎から滑走路への上り下り口は変わってない一方、滑走路の土手側には砂利舗装の道ができている。
また、滑走路も昔からある並行した2本の滑走路の第一と、川下の第二と計3本の滑走路となっていた。

昔は、土手に隣接した川下のひな壇に機体を係留していたが、今はそうでないらしい。
初ソロが出た日は、訓練が終わった後、ひな壇や宿舎前でみんなでお祝いした光景が脳裏によみがえる。

第一滑走路の使い方はほぼ昔通りで、ピストと待機訓練生により機体運搬、翼単取などで運営される。
「準備よし」「出発、しゅっぱ~つ」などのウィンチとのやり取りも昔のままだ。
機体が出発して滞空中に、訓練生が話しかけてくれた。
「確か昔は曳航索は鋼索でしたよね、今は鋼索じゃないんです…」
気が付かなかった。

機体の性能の向上と共に、曳航索の重量も減っているからか、離陸までの滑走距離が昔に比べ短いように感じた。
また、機体自身の自重が減り慣性力も減っているせいか、着陸時の滑走距離も大分短くなっているようだ。

この日は雲低が低くあまり発数は稼げなったようで午後早々に待機となったが、青春のひと時を取り戻すことができた。

上部へスクロール