早稲田大学航空部 H3年卒 細矢 龍太郎
91年卒早稲田の細矢と申します。気づけば学生航空で飛んでいたのは30年以上前のたった4年間の出来事でした。卒業後も暫くはOB会やグライダークラブなどに所属して飛んでいましたが、ここ10年はすっかり空から離れてしまいました。
とはいえ、会社人生も山あり谷ありでそれなりに濃い記憶がいくつもあるにも関わらず、航空部での部活動の想い出は未だに鮮明な記憶であり色褪せることがありません。そしてその記憶はもちろん上空での自分だけのものもありますが、それ以上に地上での仲間との関わりの方が圧倒的な塊として残り続けています。
その仲間ですが、大学内の同期だけでなく大学の枠を超えて学連の他大学まで膨らみます。卒業した91年から毎年同期会を続けており、その絆はお互いにかけがえのないものとなっています。開始当時はSNSなど無かったですが個人情報保護法も無かったこともあり、住所が記載された学連メンバーシップが配布されていました。一部同期の発案で会ったこともない全国の学連同期全員に一方的に往復ハガキを送付して始まりました。途中2回できなかった事がありますが、今年で33回目の開催となります。
学生時代は部活が忙しくゆっくり話す時間はありませんでしたが、卒部後ですので毎年昔話に話しが弾んでとても有意義な時間です。毎年コンスタントに20名以上集まるため幹事を続けてきていて本当に感慨深いです。
僕達の学生時代には今のようにスマホやSNSどころかデジカメも無かったので、写真はフィルムでした。枚数も少なく貴重な想い出にも関わらず30年も経てば手元にはあまり残っておらず、記憶も薄れてきています。でも同期会で話せばあやふやな記憶も皆んなでワイワイ話して思い出せるため毎年話しが尽きる事がありません。社会人になって関東に出てきた人もおり、妻沼以外の話も聞けてとても有意義です。また30年以上続けていると、最近になって初めて参加してくれる人もいたりと未だに自己紹介の場面もあり話題にも事欠きません。もちろん、未だに教官やプライベートフライトを続けている強者もおり、想い出だけでなくリアルフライト話しにワクワクする事も多いです。
また昔話をしていると必ず話題になるのが、当時お世話になった教官の方々は自分達の今の年齢より遥かに若い方が多かったことで、改めて驚きと感謝の気持ちでいっぱいになります。
グライダーの魅力をもっと知ってもらいたい
このように尽きない想い出となったグライダーですが、そもそも僕がグライダーを知ったのは高校生の時に朝日新聞に掲載されていた東大航空部の紹介記事でした。それまでグライダーというのは実物を見たことが無かったので模型に特化した形態と思い込んでいたのですが、自分が乗れる形態が存在すると知って衝撃でした。それ以降大学受験の大学選びでは赤本で部活動に航空部の記載がある大学を選びました。苦労の末早稲田に合格し、入学式の会場に向かう人混みの中で突然ピラタスB4が目前に現れ衝撃を受けたのを覚えています。式典中も上の空で終わった後すぐに飛んでいって入部しました。その時説明員をしていたのが高校の先輩だったのも何かの縁でした。
僕達世代は携帯電話やインターネットがまだ普及していない時代から、今話題のAIが誕生してきた過渡期を全て通過してきました。僕が空を飛べたのは情報量が少ない時代の中で奇跡的なグライダーとの出会いがあったからでした。それに比べ今は多くの情報があり、検索も容易になりました。ですが未だにあまりグライダー人口が増えていないのはそもそもグライダーを知る機会が少ないことが原因だと思います。
子供達の将来の夢には昔も今もパイロットが多く選ばれますがそれはあくまでラインパイロットであって、純粋に空を飛ぶためのグライダーパイロットのイメージは皆無です。自分なりに考えたその理由ですが、子供達と飛行機の接点となる空港で事実上見ることができないのがグライダーだからだと考えています。空港の売店にはグライダーのおもちゃはありますがそれを見た子供にとって乗り物という認識には繋がりません。
子供達にグライダーを押し付ける必要はありませんが、少なくとも純粋に空を飛ぶことができるグライダーというものの存在を小さいうちから子供達にインプットしてあげられたらと思います。
そうすれば、グライダー人口も増えて、グライダーを支える人、飛び続ける人、飛び続けられる人が増えると思います。そうすれば将来の夢の前に空を飛ぶ方法手段として選択肢を増やしてあげられますし、新聞記事で知るよりも高い確率で、グライダーに乗って空を飛べる事ができると思います。
2003年の第12回同期会(石渡さんも参加)
